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もう一度、速読教室の選び方について





お久しぶりです。読書王国の方は更新したのですが、速読王国は更新していませんでした。すいません。そう言えば、私の入院中に斉藤先生より、メールを頂きました。いつもご丁寧なメールありがとうございます。斉藤先生の講座がNECにおいて採用されたとのこと。おめでとうございます。また、斉藤先生のホームページに受講生の方が感想文を書かれていますので、皆さんもご一読下さい。斉藤先生のホームページの素晴らしさは、受講生の方のほとんど編集が入らない形で感想文が載せられている所です。通常、あれだけの人数を一挙に載せると、問題が生じる物なのですが、さすがだなーと言う感じがします。

また、寺田さんがご結婚されたとの事。おめでとうございます。

さらに、玉城さんがついに速読教室の経営に乗り出したとのことです。おめでたい事が続きます。私には何の利害関係もありませし、宣伝した所で、何の得にもならないのですが、この業界に新しい方が参加されることは、素晴らしいことだと思います。今後の玉城さんの教室とSRRの発展を心よりお祈りしたいと思います。

さあ、ご挨拶はこれくらいにして、今回も行きましょう。この間、度々メールを頂く質問なので、今回も触れてみたいと思います。それは、どうやって速読教室を選ぼうかと言う事です。

実を言いますと、このホームページの多くの駄文は、速読教室をみなさまが選ぶ際の参考になればと思い書かれています。なんで速読教室がたくさんあるの、と言う内容にしても、別にみなさまに速読マニアになっていただくために書いた物ではありません。そんなマニアになるのは、あまり良い事ではありませんから。マニアになって教室でも作り、お金儲けならば良いですが、マニアになって永遠の修行となってはあまり楽しくなさそうですから。

ところで、速読教室を選ぶ際に、この間度々申してますように、やってはいけない事があります。

それは、経済的な理由と地理的な理由のみで教室を選ぶ事だと思います。もし、そのような理由のみで教室を選ぼうとされている方がいらっしゃいましたら、やめてください。経済的な理由と時間の節約と言う理由から、やめた方が良いと思います。

実を申しますと、このことは、私自身の経験からこのことは言っています。その経験とは、私が通った教室での事です。私が通った教室で、私は無事に自分の目標を達成したのですが、他の受講生の方の何人かは、かなり苦労されていました。教え方が悪いのか、それとも受講生の方が悪いのか、それは分かりません。ただ、その方たちは、なかなか成果を上げられないでいたのです。

ひょっとすると、私が教室に行かなくなってから、目標を達成されたかもしれないのだけれど、少なくとも私と比べると、その方たちはお金を余分に投資したことになるでしょう。

ここで私が問題にしたいのは、別にみそは賢くてお金も少ししか投資しないで、うまく行きましたなんて言う鼻持ちならない自慢ではありません。私が言いたいのは、私にとってその教室の方法論はベストであり、インストラクターたちは最高だったけれど、他の方にとっては最高とは限らないと言う事なんですね。つまり、しがない読書マニアで、本を病的な程読むことが好きな私にとりまして、その教室はすごくフィットしたけれど、他の方に必ずしもフィットするとは、限らないと言う事なのです。

私はこの時見た光景から、実は教室が合う合わないがあるのでは、と思うようになりました。確かに、万人に合う方法論と言う物はあるのかもしれないけれど、万人が全て「短期間で合理的に」学ぶ方法論と言う物はないような気がします。

このことを逆から言うならば、確かにほとんどの教室の方法論は万人に適合する様に作られています。しかし、万人にとって、合理的な方法論かと言えば、それはそうとは言えないと私は思うのです。私がこのホームページで、教室の合う合わないがありますよ、と言い続けている点は、この経験に基づいています。万人に合う方法論はあるかもしれませんが、それは万人それぞれにとって最適の方法論であるとは限らないと言う事です(もし、万人に最適な方法論があるというならば、私のホームページにあれほどいろいろなメールが届く事はないと思います)。

また、本を読むという事は、極めて単純なそして基本的な人間の営みであると私は思います。そして単純で基本的な営みだからこそ、様々な読み方をする人たちがいるのであり、その指向性を根本的に変えることは不可能だと私は思っています。趣味の読書をTime consuming(時間の無駄だ)と考え、情報を摂取することのみに徹するべきだと考える方が、趣味の読書をしろと言うのは、極めて不遜な態度だと思います。また、趣味の読書を無価値だとして、侮辱する態度も、また私は不遜な態度だと思います。人の時間の使い方や読み方のみを正当だと考える事自体が、私は意味のないことだと思うし、まして読み方を変えろ何という事自体が少し変だとも思うからです。

ところで、以前から述べていますように、速読教室の方法論もこのような読書観に一定影響を受けながら、作られている傾向があります。ある教室は速読こそ作者との真の対話が可能な読書形態と考えたり、斉藤博士の様に対象により読み方を変化させるべきであると考えたり、また川村博士の様に読書を主に情報を摂取する手段と考えたりと様々だと思います。このような背後の問題意識もくみ取りながら、速読教室を選ぶべきだと思うのです。

つまり、何が言いたいかと言いますと、自分の読書の指向性や速読を学ぶ動機に適合した教室を選ぶべきだと私は思っています。情報を摂取する事が読書だと考えられている方が、速読こそ真の読書と言う教室に通えば、訓練は大変だし、つらい思いをしそうです。もちろん、方法論は原則として万人向けに作られているのだから、問題もないのですが、やはり疲れたり、つらい思いをする事は、良くないことです。気分が滅入りますから。

一般的に言いまして、速読を究極の読書形態と考える教室ほど、練習はきつい物となる傾向があります。もちろん、きついという事は、別に熱湯の中に入れとか、そのような事を意味している訳ではありません。相対的な問題に過ぎませんから。とは言え、一般的にそう言えると思います。NBS日本速読教育連盟栗田先生の教室の場合、成功した場合、読書に対する深い味わいは、他の教室の追随を許さない物でしょう。さらに、読書に対する記憶などの問題も同様だと思います。とは言え、練習それ自体は、相対的と言う意味で楽ではないと思います。

逆に、速読に対し、強い意義を持たせていない教室の場合、練習は相対的に楽になると思います。元々、日本の教室の多くが、キム式やパク式に起源を持ちますが、ほとんどの速読教室がキム式に対する批判から、誕生しています。そのキム式に対する批判の最たる物が万人に修得可能なのかと言う問題意識でした。この問題意識からしますと、万人に修得可能→訓練過程を緩やか又は合理的にと言う流れが想定しやすい事になりますし。

先述しました二つの教室にしましても、このような流れの中で、読書に対する深い味わいを残しながら(または、さらに強化しながら)、訓練過程を合理化し、誕生した教室です。これに対し、読書の味わいが落ちたとしても、情報が摂取できるなどの目的が達成すれば構わないと考えた教室の場合、通常訓練はさらに緩やかなかたちで行われると思います。

では、次にしてはいけないことは、速読教室の宣伝を鵜呑みにしないと言う事だと思います。別に、教室は嘘はついていません。ただ、あえて自分の教室にとって都合が悪いことを積極的には言わないと思います。なぜなら、速読教室も一応ビジネスですから、通常自分の不利になることは積極的に言わないと思うからです(私が教えていた教室では、あまり積極的には情報を提供していませんでした)。

ところで、私がメールを頂いた中で、とても驚いた事がありました。速読教室側が、積極的に情報を提供しているとの事だったのです。その教室とはNBS日本速読教育連盟なのですが、この教室は平均してかかる費用や時間をホームページにて明示し、さらに積極的に受講生の方からの質問にも答えているとの事でした。さすが、佐々木博士と言う感じです。お会いしたこともない先生ですが、パイオニアは違いますね。

また、斉藤博士のホームページでは、多くの受講生の方(多分、研修という形態をとられた場合の、全ての受講生の方だと思います)の受講感想が載せられています。さっきも書いたのですが、あれだけの人数を一挙に載せると言う事は通常勇気がいることなのですが、斉藤先生の自信の現れなんんだろうなーと言う気がします。

ところで、佐々木博士斉藤博士の様に積極的に情報を提供してくれる教室がある(佐々木先生と斉藤先生の教室は、早くから情報を提供されていました。その点誤解なきようお願いします)と言う所を見ると、質問すればどの教室も積極的に質問に答えてくれる雰囲気ができあがっていると思います。

その次にしてはいけないことは、教室に行かずに決めると言う事です。これは、前の話しとも関係しているのですが、教室に行かないと質問する事もできません。斉藤先生の教室は残念ながらセミナー形式と通信教育がメインになっているようなので、直接質問できる方は少ないと思います。ただ、そのような場合でも、最低本だけは購入するようにしましょう。本も購入しない、教室にも行かないでは、教室の雰囲気や方法論の指向性も知ることができません。最低、本を一冊は購入すべきだし、また教室に出かけるべきだと思います。

そして、教室に出かけたり、ホームページを持っている教室ならば、最低メールを送ってみる様にして下さい。度々述べていますが、質問に答えたがらない様な人をインストラクターとして雇っている教室は、私はおかしいと思います。昔、本で読んだ事があるのですが、ディズニーランドは、莫大な金額を駐車場のお兄さんやお掃除をしてくれる人たちに教育費と言う形で投資しているようです。駐車場のお兄さんやお姉さんたちは、要はそのアミューズメントパークに行くとき、お客様が最初に会う人たちです。そして、この人たちこそが、そのアミューズメントパークの第一印象を決定する人たちだからこそ、莫大な投資を行うとの事でした。私は何もこのような事は、アミューズメントパークにだけ限った事ではないと思います。速読教室も同様だと思います。

確かに、速読教室はアミューズメントパークではありませんから、顔立ちの整った男の子や女の子を受付やインストラクターに雇う必要はないと思います。しかし、受講生の方の質問に喜んで答えたり、初めて教室に訪れた方を不快にさせない程度のホスピタリティーを持った人物を雇う義務くらいはあるでしょう(メールの場合ならば、不快にさせない程度の文章を書ける人たち)。

実は、私が頂いたメールで驚くべきメールがありました。教室の見学に行った際にインストラクターに質問したら、嫌な顔をされたと言うお話でした。もちろん、その方が教室の雰囲気を悪くされるような質問をされたのかもしれません。しかし、百歩譲ってその方がそういう質問をされたとしても、お客様である以上、そのような対応が許されるはずもありません。速読教室といえども、慈善事業体ではなく、ビジネスとして行われている以上、お客様は神様のはずです。アールナイチンゲール博士ではありませんが、お客様は常に正しいのです。そのお客様に不快な想いをさせる様な教室は、選択すべきではないと思います。

この様な最低限のマナーすら守れないインストラクターがいる教室を選ぶべきではないと言う観点(実は、この問題は受講生の方が伸び悩んだ時にこそ深刻な問題を生じるのです)からも、教室に一度は足を運ぶべきだと、私は思います。

さらにしてはいけないことは、教室をいったん選んだら迷わないと言う事だと思います。インターネットのおかげで、皆さんはいろいろな情報を得る事ができます。私のこのつまらないホームページにしてもそうだし、寺田さんの所もそうです。また、脳みそリンクのおかげでほとんどの速読教室のホームページを見ることが可能です(脳みそリンクはとても優れたリンク集です。やばそうな所ははじかれています。タント氏の努力は並大抵の物でないと思います)。

この様な諸情報は、教室を選ぶまでには役立ちますが、逆に速読教室を選択した後は障害になる場合があります。特に、数値が伸びていない又は伸び悩んだ場合に、障害になることがあるのです。誰でも隣の芝は青く見える物です。うまくいっていない時は、なおさらです。あぁ、あの教室に通えばうまくいくかもしれない、とか、実はこの方法論はインチキだったのではとか思ったりする物です。
やはり、教室を変えることはあまり良い事ではないと私は思います。デメリットが多いですから。教室を変えると言う事は。

教室を選ぶ際に最低すべきことは、自分に合う方法論を選ぶために全力を尽くそうと言う事です。そのためには、本を購入したり、また教室に行ってみたり、ホームページで情報を集めたり、その程度のことは最低すべきだと、私は思います。他にもいろいろあるのだけれど、その点はこのホームページでも書いてきた事なので、ここら辺のページも参照されながら、教室を上手に選ばれて下さい。

 


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