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読めている実感




 

先日ある方より面白いメールを頂きました。その方によると、速読教室に行ってある程度成果も上がったのだけど、本が読めている実感がないとおっしゃられるのです。私自身、教室に通った後似たような悩みを持った経験があります。

教室で使用される本だと良く読めるのだけど、他の本だと何となく理解しにくいと言う事がありました。そのあたりの事情については、以前も書いたのですが、もう一度この点について触れたいと思います。

特に、この悩みは短期で速読を修得された方にありがちな悩みだと思います。何事にも慣れと言う物が必要です。速読は文化系の活動なのですが、性質としては体育会系ののりに近い物があると思います。そのせいか、どうしても修得されるまでに、一定期間必要だと思います。

とは言え、何もするなとは言えませんし、対策と言う物が必要です。そうでないと、速読を習った意味がありませんから。

私が考えつく対策なのですが、一番良い対策は、1行にあまり単語が入っていない本を読む事だと思います。良く児童書を薦める方がいるようなのですが、私はお薦めいたしません。その理由なのですが、児童書にはルビがふってあり、目の動きを阻害してしまうからです。速読の目の動きは最終的にはきれいな波打つような動きを目指します(一分間に100万字レベルを目指す教室の場合はのぞきます)。この目の動き(正確には、視点の移動)は、きれいであれば、きれいなほど、良いのですが、ルビがあると、ルビに気をとられ、波が乱れてしまう場合があるからです。

私が今一番おすすめなのは、やはり新聞や雑誌、そして能力開発系の本だと思います。今回アップした成川先生の本は、まるで速読の練習をするために生まれてきたような本です。1行が短く、その上行間もすかすかで、このような本を速読の練習に使わず、どんな本を使うんだと言う感じすらします。

そして、このような新聞、雑誌、すかすかの本を乱読する事が一番の近道だと思います。とにかく、読んで読んで読みまくると言う事が大切だと思います(この点は、以前も述べた通りです)。能力開発や自己啓発の本は、Book Offの様な古本屋さんに行けば、二束三文で売っています。市場原理とは素晴らしい物です。

自己啓発の本を読んでいると飽きてきます。この手の本の特徴は、ワンパターンな事ですから。この手の本が楽勝で速読できるようになりましたら、次は自分が興味がある本を読みましょう。

受験生の方の場合、能力開発の本ばかり読んで遊んでいる訳にはいかないでしょうから、少し練習にも受験に役立つ物が良いと思われます。確か、新日本速読研究会が出している本で、受験対策に関する本が出ていたと思います。同研究会によりますと、厚めの本が良いとされています。このアプローチは間違っていないのですが、あまりに詳しい本は逆に弊害があるとも思われます。「大学への○○」と言う本をすすめているのですが、受験対策としてはともかく(こういう本は、普通辞書の様にして使うのではないでしょうか)、速読用としてはあまり良くないと思います。

社会に関しては、どちらかというと物語仕立てで、書かれた本が良いようなきがします。ただ、最近話題になった歴史教科書や公民の教科書は、内容上に問題があるので物語調で書かれたと言っても避けるべきと思われます。内容上の問題は、多くのホームページで触れられている様なので、そちらを参照されて下さい。まあ、その他行の取り方や薄さと言う点からは、すぐれているとは思うのですが、受験対策と言う側面からはかなり問題がある様な気がします(大体、歴史と公民の教科書しかないので、地理の部分はどうするんだという話しもありますし、公民の教科書では近代立憲主義と言う考え方に関して致命的なミスを犯していた様な気がします)。

要は、受験参考書でも物語調で書かれた物や行間が比較的広くとられている物、さらには1行が広めにとられていれば、好ましいと言う事に過ぎません(教科書に付属している副読本が速読用に優れています)。

ところで、他にないのか、と言う事なのですが、スピードを上げ、推理力を強化すると言う観点から言いますと、論理問題を急いで解くのも良いかもしれません。この手の問題は、やればやるほど、速くなります。

そして、間接的にではありますが、速読の能力の強化に役立ちそうです。知能テストの親戚の様な問題を3日に10分くらい解かれてみるのも良いですし、論理トレーニングと言う本を購入されてやってみるのも良いと思います。正確な文法の知識や文の構造に慣れると言う事も、速読以前の問題として大切ですし、複数行読みをする教室の速読法を習われた方の場合、大切なアプローチだと、私は思いますから。

最後になのですが、忘れていただきたくない事があります。それは、結局速読と言うのは、手段に過ぎないと言う事です。自己啓発としての速読は、あくまでも皆さんが何かしようとしている事を達成するために存在すると私は思います。

時として、私たちは勘違いしがちですが、手段が目的へとすり替わる事が良くあります。某宗教団体が行った異常な修行は、このような思考上の誤謬が含まれていると思います。その点を勘違いなさらないようにして、練習に励まれて下さい。

 


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