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もう一度、速読って何だ
一番最初にも説明したことなんですが、もう一度違った観点から書いてみたいと思います。
1 速読と通常の読書との差
どこの速読教室の本を読んでも必ず、速読の訓練過程においては、音読を止めさせる訓練が
あります。これは、音読をしている限り、速読という状態にはならない、という事を意味し
ています。つまり、速読においては、音読や黙読といった作業は行いません。音読と言うと、
「なんか朗読する」というイメージがあるのかもしれませんが、この場合の音読とは単に声
を出して本を読むという活動ばかりでなく、頭の中で音声化するという作業をも含んでいます。
じゃあ、お前さんはどうやって本を読んでいるのか、と言うことになると思うのですが、速
読においては音読という作業を一切行いません。
むしろ速読においては、見ているという状態に近いと思います。速読教室によっては、かな
り熱心にこの「見る」という練習を意識して行わせているところがあるようですが、まさに
これは速読の本質を理解した正しい訓練だと思います。そう、速読は通常の読書の仕方であ
る音読とは異なり、「視読」という方法により本を読んでいるのだと私は考えています。
そのため、私がインストラクターをしていた頃は、本を読むというより見るという気持ちで、
受講生の方に練習をして頂いた事が多くありました。経営者は速読ができない人だったので、
この練習法は不評でしたが、受講生の方には好評でした。
とにもかくにも、速読は、「音読」と異なる「視読」の状態で本を読むことと言えると思います。
2 じゃ、音読はだめなのか
なんだ、それなら音読なんてやらない方がいいのでは、という気もしてきますが、実はそんな
ことはありません。基本的に音読と呼ばれる状態が速い方ほど、速読の修得率も速い傾向にあ
りました(これは統計上というより、私の経験上言える事ですが)。また、小学生に速読を習
わせる親御さんもかなり多くいらっしゃいましたが、私はこれはあまり好ましい事なのかどう
か、実は自信がありませんでした。
確かに、小学生それも低学年の生徒さんほど、速読の修得率は速いと言えるのですが、それが
ご当人にとって良いことなのか、はまた別問題だと私は思います。特に、「音読をとる」(音
読を止めさせる)事が教育上良いことなのか、むしろ大人になってからの事を考えると否定的
な気すらします。その理由なのですが、音読は言語の習得のために必要不可欠の要素という気
すらします。以前塾の先生方から聞いたのですが、最近の生徒さんたちは英語の本を音読(こ
れは朗読の意味です)しないため、明らかに英語力が低下し始めているそうです。とすると、
確かに英語と国語の差はあるものの、小学校低学年は言語を習得していく過程にあります。そ
の過程において、音読を取り去る事がいいことなのか、と聞かれますと、みそ個人としては「
うーーん」とうなってしまうところがあります。
また、先ほども言いましたが、音読がしっかりでき、かつそのスピードの速い方ほど、速読の
修得率もまた速いという傾向が明らかにありました。としますと、小さい頃からきちんと本を
読んだ習慣がある方ほど、音読もまた簡単にとれるし(つまり速読の状態に入りやすいし)、
無駄に速読教室に受講料を払う事がなくなるのでは、とみそは思うのです。
3 じゃ、小さい頃本を読んでいない人は、速読を修得できないのか
小さい頃、読書していない人は、速読が修得できないのか、と言う気がしてきますね。実は全
くそんな事はありません。ただ、やはり読書の経験があまりない方は、時間がかかるというだ
けです。
でも、世の中お金も時間も限りがある訳ですから、そんな事言われてもと思いますよね。
そこで提案したのが、以前書いた即席速読法なのです。音読のスピード
を上げる事により、
少しでも速読しやすい状態を作るというのがその練習の目的の趣旨の一つです。
この練習は必ず同じページを使用しやられて下さい。つまり、2週間ぐらいは飽きるまで同じペー
ジを使用されると良いと思います。その理由なのですが、速読は特に運動の練習と似たところがあ
ります。つまり、一定の型が無意識でも正しく再現できる必要があるのです。
速読教室に行こうか、どうしようか、迷ったら是非、速読教室の本を購入し、スピードを測ってみ
て下さい。かなり速い方(一分間に千字程度読める方)は、別に教室に通われたら良いと思います。
何と言ってもその方が安上がりですし、変な癖がつかなくて良いと思います。あまり速くない方は、
一度「即席速読法」を試されて下さい。多分、少しは効果があると思います。ポイントは、テープ
を聴いている最中に読もうとか思わない事と同じ箇所を何回も聞く事がポイントです。
即席速読法の善し悪しはともかくとして、速読というのは極めて自己完結的なものです。しょせん
速読といえども、読書の一形態にすぎませんので、ある意味では自己満足の傾向が強いのです。だ
からこそ、最初のスタートが経験等によって、当然異なってくるわけです。
ですので、最初のスタート位置が違うからと言って焦る必要もありません。これは単に読書の癖の
問題です。ゆっくり本を読む人もいれば、速く読める人もいる。ただそれだけの問題です。焦らず、
たゆまず、練習する。これこそが速読の上達への第一歩と言えると思います。
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