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どのくらい時間がかかるの?

 

速読を修得するために時間がどの程度かかるのか、と言うお話を良く聞かれます。実を言いますと、この質問一番答えにくい質問なのです。ただ、どのくらいかかるかは、二つの要素で決まると思います。一つは教室が持っている教室の性格及び性格との相性、もう一つは受講生の方が持っているポテンシャルかなーです。もちろん、言うまでもない事ではあると思いますが、ポテンシャルと言った場合、俗に言う超能力の事ではありません。私は超能力者ではありませんし、別になりたいと思った事もありませんから。

1 教室の性格とその相性

まず教室によってかかる日数と言う物が随分違ってくると言う事もあります。視点移動に対して厳格な教室は、視点移動の確立までに比較的時間がかかる事があります。と考えますと、視点移動に厳格な教室に通うと費用もかかりそうだとも言えそうなのですが、実は違うのです。

視点移動に対し厳格な指導を行う教室の場合、視点移動の確立さえ行えば、後は自分の力で着実に力を伸ばしていく事が可能です。こういう教室の方が、後に揺らぎと言う物が少ないと思います。なので、一概に時間がかかるとか、費用がかかるという事は、実は言えない所があります。

視点移動に厳格な指導を行う教室の場合、視点移動に対するイメージがつかめれば、さほど費用もかけずに修得と言う事も十分にあり得る話しだと思います。また、いったん身につけた方法はそう簡単に落ちてしまう事もありませんから、うまく教室の波にのれた方は、さっさと終了と言う事もあると思います。

じゃあ、厳格な指導を行わない教室の場合は、費用がかかるのか、と言う事なのですが、かかると言えばかかるし、かからないと言えばかかりません。主に複数行読みを前提とする教室なのですが、この手の教室の場合、複数行読みと言うある意味アバウトさが要求される方法を受け入れられるかと言う事が、鍵になると思います。このアバウトさが受け入れられれば、さっさと終わるし、受け入れられないと結構つらい物があると思います。

速読の一番の修得困難さを作り出しているのは、視点移動の確立が難しい事です。そこで、この視点移動を緩やかにしてしまうことによりのりこえようとしたのが、複数行読みだと私は思います。この「のりこえ方」がイヤではないと言う人にとっては、こういうタイプの教室は非常に勝手がよい教室と言えると思います。その結果、いち早くコースを終了させる可能性もあると思います。

ただ、複数行読みがイヤだと言う人がこういう教室に行くと、悲劇が訪れると言うお話に過ぎません。良く言われる納得できないと言うやつですね。納得できないならば、納得する必要もないわけですから、視点移動に対し厳格な指導を行う教室に行けばよい話しです。あんまり無理をすると体に良くありませんし、学習効率も上がりませんから。

 

2 受講生の方の問題

もう一つは、言い訳に聞こえるのかもしれませんが、受講生の方の経験などによっても異なってくると思います。別に、本を読むからと言ってその人間の知性が高い等という証明にはならないと私は思うのですが、この点を誤解されているのではと私は思います。

語学ができると言う理由で、その方の知性を計る野蛮な国もあるようですが、残念な事に語学が出来ることとその人間の知性の高さはあまり関連づけがないように思います(もし、極めて強い関連性があるならば、外務省のお役人達は極めて知性の高い方たちの集団である事になるでしょう)。●●ができるとか、××が得意と言う事と同様に、本を読むことが好き、もしくは本が速く読めると言う事は、単なる特技の範囲内に過ぎないと思われます。このような特技の有無によって、その人間の知性を計る事は通常されないと思うのですが。

本を読む読む習慣があると言う事は、単にその方が速読を修得すると言う観点から言うと、ゴールの近くにいると言う話に過ぎないと私は思います。もちろん、語学が出来る事と同様に、本が速く読めると言う事も、遅く読めるよりは、速く読める方が良いかもしれないし、悪いかもしれない(語学の場合も、出来る方が出来ないより、良いかもしれない。でも、中途半端に出来るくらいなら、出来ない方が良いかもしれない)と言う話に過ぎない様に思います。それ以上でもなければ、それ以下でもない話しだと、私には思います。

知性と言う問題が以前2ちゃんねる上で取り上げられた事もあったようですが、基本的にこの程度の文章力でも速読は修得できますので、たいして知性と言う物は必要でないと私は思います。この程度の知性があれば十二分に速読を修得する可能性があるわけですから、世の中の大半の方は、その可能性があると言う事でしょうから。ですので、世の大半の皆さんは私より文章を書くことが上手であり、私より知性があるはずですので、速読を修得できないはずがありません。また、修得されたらきっと素晴らしい結果が訪れるかもしれません。

後なのですが、私の個人的な意見に過ぎませんが、基本的に今読めない本は、速読をしたからと言って読めるようにはならないと思います。これはこの間言ってきた通りです。ただですね、この点を誤解して頂きたくない事があります。ここで言う読めないと言う事の意味は、読む時間がないとか、読む気力がおきない事によって、読むことができないと言う事ではありません。前提知識が欠如している結果、読んだとしても、何が書いてあるか分からない物が、読める様にはなりませんと言う事です。もちろん、速読を習った結果、色々お勉強され、読める様になる事はあると思いますが。そう言う努力をしないで、本が読めるようにはなりませんと言う話しです。

3 結論としてなのですが

結局の所、どの程度の時間が修得までにかかるのか、と言う話は、その方の経験や速読教室が持っている方法にどの程度まで自分を合わせる事ができるか(もしくは、自分と合わない様な教室を最初からはじく事ができるのか)、と言う事になりそうな気がします。人によっては、三ヶ月くらいで修得される方もいるでしょうし(週二回×一時間 計24時間)、一年くらいかかってしまう方もいると思います。

結局と言う事なのですが、速読が短期間で修得できるか否かは、大きく見ながら小さく見ると言う事が理解できて、それを感覚的にも分かるかと言う所にあります。この感覚をつかみ、後は文字で練習した際にもこの感覚に近い目の使い方をすれば、多くの方は速読修得が可能であると私には思えます。複数行読みを前提とした場合も、このイメージを掴んだもんがちと言う事は、変わりません。ただ、比較的複数行読みの方が、イメージしやすいと言う所はありますが、それもまた相対的な問題に過ぎないかもしれませんが。この点は相談室でも書いたとおりです。

どちらの読み方にしても、それぞれ弱点と強みと言う物を持っています。また、期間という点でも、どちらの速読法の方が、早く身に付くのかと言う事は、その方の性格などもあり、はっきりと言えない所があります。言い訳と言われるかもしれませんが、そこら辺は動かせない所だなーと思っています。

2002年07月05日 公開


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