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自動車の運転と速読




お久しぶりです。

生きてます。みそです。

ところで、今回はちょっと変わったメールを頂きましたので、そのメールに対する私なりの意見を書きたいと思います。今回メールを下さった方は、現在自動車の免許を取得される学校(つまり教習所)に通われているそうです。仮にその方を○○さんとしたいと思うのですが、その○○さんは、教習所の教官から「視野の狭さ」を指摘されたそうです。そこで、○○さんより、視野を拡大するために、速読は効果的なのかと言う質問を頂きました。

実を言いますと、私は○○さんのご指摘の通り、異様な程車の運転が好きです。旅行と私が言えば、車で行ける所ですし、車を運転する私の体力は無尽蔵と友人からも言われています。ところで、そんな車の運転が大好きな私にとりましても、仮免許の試験の際に度々試験官より視野の狭さを指摘されました。 実を言いますと、私はお金がもったいなかったので、試験場に直接行ってとったのですが、その試験官たちにあまりの視野の狭さに、度々怒られていたのです。

ところが、私は速読教室でも、異様なほど(ある種奇形的な程)視野が広い方だと言われていました。しかし、なぜ活字に対し、異様な程の視野の広さを発揮する私が、車の運転になると視野が狭くなってしまうのか、と言う点が、この○○さんに対する答えの様な気がするのです。

何が言いたいかと申しますと、視野の狭さと言う事は、ある意味相対的な物であると思うのです。つまり、私が言う視野を拡大すると言う事は、正しく言えば、視野を拡大すると言うよりも、目の使い方を覚えると言った方が正しいのかもしれません。ですから、車を運転する際に、適切な視野の使い方を覚えていなかったり、緊張し、ガタガタ震えていれば、視野が拡大するはずもないのです。

そう言えば、私が車の仮免許を取得する際、私はいつもブルブル震えていました。とても緊張していたのです。元々、気が強い方ではなく、慎重さをもってよしとする私としましては、犯罪者でもないのに、警察官の方に隣に座ってもらい、運転の能力を試されると言う事は、緊張以外の何物でもありませんでした。ですから、普段見えるものも、全く車の運転をしている時、見えなくなってしまうことも度々あったのです。

この事を逆から言いますと、速読に関しても同様の事が言えるような気がします。つまり、速読を修得しようとしていて、視野が拡がらない事にイライラすれば、するほど、視野が狭まると言う事になります。その人が元々視野が狭い方ならば、その方が持つ力をかつて試験場で試験を受けていた私の様に、視野が狭くなってしまうのです。

私がこの○○さんに言えることは、速読法の練習を車の運転を習う際に、視野を拡大したいと思い、利用される事はあながち間違っているとは思いません。なぜなら、速読と車の運転は極めて似ている所があるからです。例えば、視野を広く保ち、同時に様々な場所に注意しながら、異なった作業(マニュアル車であろうが、オートマであろうがこの点は変わりません)をこなしていくと言う作業は、速読が文字を絵の様にして眺めていく読書方式である事と、似ているとは言えます。そこで、車の運転を習う際の、速読は一助となるでしょう。

しかし、もっと大切な事も同時にあると思います。それは、車の運転に慣れ、緊張したり、あわてると言う事をなくす事だと思います。つまり、速読においても、緊張した状態で読書にのぞめば、視野は通常時よりも絞りこまれる事によって、速読が期待する目の動きができなくなります。

これは、車の運転においても同様です。緊張したり、あわてる事によって、本来見えているものが、全く見えなくなってしまうのです。なぜなら、keep left、巻き込み確認とか、いろいろな初心者の方には耳慣れない動作を同時に車の運転は要求する訳です。これらの動作は慣れれば、なんと言う事もない動作です(今では、私は異様な程左に寄せる不気味なドライバーとなっていますが)。しかし、慣れない初心者の頃には、「そんな事いっぺんに言うなよ」とか、「やらなきゃいけないことは分かったいるんだけど」等と思いながら、なかなか実行できない事だと私は思うのです。そんな動作をいっぺんにやれと言われれば、あたふたしたりして、視野が狭くなる事は、ある意味当たり前だと思います。

この問題は、速読と同じ方法によって、私は解決できると思います。答えは、練習することです。速読の目の使い方も、大半は練習によって覚えるしかないのです。車だって同じ事です。速読の目の使い方を覚えないと困るのは、自分一人だけど、車での目の使い方を覚えず、免許を取ってしまえば、それは他人の命を場合によっては奪う事になります。私も試験官に良く言われました。

「○○さんは、車の運転はうまいけど、そんなにおたおたされたら、路上に出せない。危ないと思いませんか。こんなにおたおた運転されたら。仮免はあげるけど、良く練習してきなさい」

今でも、私はその言葉を胸に秘めながら、車を運転しています。

追記 私が警察汚職などがあっても、全警察官が腐敗している等という事が信じられないと思っているのは、試験場での試験官たちに接した事があるためです。試験官たちは、現役の警察官でもあるのですが、私が接した試験官たちは少なくとも、交通安全を真剣に考えている方たちでした。
私は今でも、その人たちの事を尊敬しているし、その人たちから習ったことをできる限り、実際の運転に生かしたいと思って運転しています。 その時会った試験官たちの職務への忠実心や熱心さを見ると、私には全警察官が腐敗しているなどと言う事を信じる事は到底できません。




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